旭山動物園

地域再生関連で北海道の旭川にいく用事があり、そしてその過程で旭山動物園を視察しました。

周りを見渡すと凄まじい数のインバウンド。日本人の方がマイノリティでした。

旭山動物園の入場者数は、この北の大地にも関わらず年間300万人を超えています。上野動物園でも350万人であることから考えればどれほどすごいかお分かり頂けるかと思います。

平日にも関わらず、観光バスが数十台も来場し、人を運んでいました。

今でこそこんなに有名な旭山動物園ですが、苦しい歴史がありました。一時は閉園も含めて検討されたこともあります。旭山動物園はどうやって再生したのでしょうか。

誰か企業再生人でも来たのかと思ったら、そうではありません。

地域の人、動物園園の職員が自ら考え、自ら行動し、動物園を蘇らせたのです。




旭山動物園の再生の軌跡

簡単に旭山動物園の再生の歴史をご紹介します。

旭山動物園は1967年7月、開道百周年に当たる年に札幌市円山動物園、おびひろ動物園に次ぐ北海道で3番目の動物園としてオープンしました。

記念式典では各国代表が参列し、地元のみならず国際的な期待のかかる動物園として順風満帆なスタートを切りました。

しかし、90年代になると施設の老朽化が進み、さらにそこに動物達を病気が遅い、一時封鎖されることになってしまいました。入場者数は20万人代まで落ち込んでいきました。

存在意義を根底から揺るがされ存亡の危機を迎えた旭山動物園だが、一つの光が差し込みます。それが市長の存在です。市長はバブル崩壊後の景気の冷え込みで新規の投資は難しいと判断すると、旭山動物園の再生に期待をかけました。

市長は園長に改装を打診し、理想の動物園作りを模索していた園側は一丸となって、これまで他の動物園では類を見ない行動展示という手法を用いて、動物のありのままの姿を見せることに挑戦することにしました。

飼育係員自らが担当している動物の日常の姿を自分の言葉で伝える「ワンポイントガイド」では、書物で学べる動物の特性を語るのではなく、動物個々の日常的なしぐさやケンカの話題など飼育係の視点からの説明を行ないました。また、手書きで園内の最新情報を紹介する「手作り看板」も人間味が溢れていると来園者の好評を得ました。

夜の動物の生態を観察できる「夜の動物園」や冬には「ペンギンの散歩」など動物の生態に合わせたイベントを新たに企画し、普段見ることのできない動物の一面を垣間見ることができると熱心なファン作り、リピーター化に一役買いました。

メディアの力も加わり、2000年代には300万人の大台を突破するまでに完全復活を遂げることとなりました。

旭山動物園に学ぶ地域活性化の本質

旭山動物園の再生を見ると、地域活性化の本質が見えるように思います。

巨額の資本を入れて何か派手なものを作ったり、凄い実績を持った企業再生人を外から連れて来たりすることが、本当の地域活性化ではありません。

その土地を愛する地域の人たちが、地域のことを想うリーダー(市長や町長)の元で、その地域の既存の資産の活用方法について真剣に語り合い、それを行動に移し、それが地域の発展の骨となり、原動力となります。

地域の人達だからこそ知っている情報を元に、他の地域にはない差別化要素を打ち出し、来訪者の誘引に成功したわけです。

ひるがえって浦安に目をむけると、現状で困っていることがないから何も変革を起こさないことは、浦安に住む子供達の未来に大きな不安要因を残してしまうことになるかもしれません。

物事には必ず衰退があります。だからこそ常に次世代に向けた手を打ち続ける必要があります。

まずは三番瀬の観光活性化の活用を皮切りに、浦安の未来創造に今取り組む必要があるのではないでしょうか。